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アキバ在住アナリストのブログvol.24             秋葉原の上場企業〜渋沢栄一の創業精神に学ぶ(11/30更新)  

アキバ在住アナリスト、CICOM(サイコム)取締役の石原昇です。

日本の近代資本主義の父といわれる渋沢栄一は、若き日に、お玉が池(今の岩本町近く)にあった千葉道場で剣の腕を磨き、後に湯島や神田小川町に居を構えたこともありました。11月は命日であることから記念月間と位置づけられ、飛鳥山にある渋沢史料館の式典をはじめ、各地でイベントが開かれました。文化の日に、生誕地の埼玉・SKIPシティで、曾孫である渋沢雅英氏 (渋沢栄一記念財団理事長)とのトークショーにお招きいただきました。

250名以上が参加した映画上映とトークショー
250名以上が参加した映画上映とトークショー

今の日本は、食品や耐震設計など広範囲に偽装が蔓延し、企業倫理の欠如が問題になっています。また株価吊り上げのための粉飾決算や道理なき企業買収によって資本市場も歪められています。こうした時代だからこそ、渋沢栄一の教えに学ぶべきことが多々あります。

翁の生まれは天保11年(1840年)。現在の深谷市血洗島(ちあらいじま)の富農に生を受け、幼い頃から読書を好み論語の勉強に励みました。幕末から昭和初期の激動の時代を生きた、その生涯の基本理念は、論語の精神(真心と思いやり)にあります。「真に国の発展を望むなら国を富まさねばならぬ。国を富ますには科学の進歩と商工業の活動によらねばならぬ。商工業によるには株式会社が必要だ。株式会社を経営するには強固な道理によらねばならぬ。道理の基準は論語による他はない。」と「道徳経済合一説」を熱心に語る録音が今も残っています。

青年期は、尊皇攘夷運動に加わりましたが、その後、第15代将軍となった徳川慶喜に仕え、慶応3年(1867年)には、パリ万国博覧会に出席する慶喜の実弟・徳川昭武に御勘定役(会計係)として随行しました。約1年間、欧州に滞在する中で、先進の思想・文化・社会などを目の当たりにし、大きな影響を受けました。明治元年(1868年)に帰国した後、日本で最初の合本(株式)組織「商法会所」を駿府に設立。大隈重信の説得により明治新政府の大蔵省に仕え、税制、貨幣、銀行などの国家財政の確立に取り組みました。その後、官界の硬直した体制に限界を感じ大蔵省を4年で辞め、以後は実業界の最高指導者として活躍しました。

渡欧時の写真と東京名所になった第一国立銀行
渡欧時の写真と東京名所になった第一国立銀行


わが国最初の第一国立銀行の創立をはじめ、王子製紙、大阪紡績、東京瓦斯、サッポロビール、帝国ホテルなど設立に関わった企業は500近くに及び、商業会議所、銀行集会所、株式取引所などの経済の組織作りにも関与し、実業界の指導的役割を果たしました。また、社会・文化・教育の幅広い分野で社会公共事業に尽力し、東京府養育院、東京慈恵会、中央盲人福祉協会、東京女学館、一橋大学、日本女子大学など創設に関わった事業は600に上ると言われています。さらに、労使協調や国際親善にも貢献しました。

日銀近くの常盤橋公園に立つ渋沢栄一翁の銅像
日銀近くの常盤橋公園に立つ渋沢栄一翁の銅像


さて今日、秋葉原には多くの企業が集積しています。秋葉原駅周辺に本社所在地のある上場企業の数は60にのぼります。岩本町などに古くからある地場企業に加え、秋葉原クロスフィールドや再開発エリアに新しく転居してきた企業、ベンチャーから公開を果たした企業など多彩です(後掲)。

渋沢栄一翁は「現代事業経営順序」において、新事業を始めるにあたっての4つの条件を説いています。第1はその事業が成立するか、事業存続の見込みがあり数字に基づいたものであるかが肝要としています。第2は私を利すると共に社会に利するか、まさに道徳経済合一説の教えです。第3は時機に適合するか、マクロの景気の読みも必要です。第4は人物がいるか、事業を推進する人材の確保は何より大事です。CICOM(サイコム)も秋葉原を拠点に、これからも企業の次世代のグローバルリーダー育成のお手伝いをして参ります。

秋葉原(周辺)の上場企業
秋葉原(周辺)の上場企業


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