あの会社のキーパーソンに聞く個と組織の両面から考える、ミドル世代のキャリアと学び
― 電通 酒井章氏

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対談

2018.02.27

勝 幹子 Mikiko Katsu
勝 幹子サイコム・ブレインズ株式会社
ディレクター / シニアコンサルタント

学校を卒業して、就職して、定年を迎えるまで同じ会社で働く。そのような働き方が主流であった時代は、「自分のキャリアを主体的に考える」という意識は希薄でした。しかし昨今では、本業に従事しながら別の仕事を持つ「パラレルキャリア」という言葉も耳にするようになり、働き方が多様化しています。このような変化に対して、若い世代は比較的柔軟に対応できるでしょう。しかしミドル以降の世代は、従来の環境に適応できた人ほど、将来に対して迷いや閉塞感を感じているのではないでしょうか。

経験やスキルを持つミドル世代が今後さらに活躍するために、個人として、あるいは組織として必要なことは何か? 今回は、電通人事局で社員のキャリア開発に取り組む傍ら、NPOや大学、キャリアカウンセラー、ワークショップデザイナーなど、社内外で幅広い活動を行っている酒井章氏にお話を伺います。

酒井 章 氏
酒井 章 氏
株式会社電通 人事局 次長

中央大学法学部卒業後、1984年株式会社電通入社。クリエーティブ部門、営業部門(Account division)を経て、2004年シンガポール統括会社(Dentsu Asia)に駐在。企業内大学であるDentsu Network Asia-College-DNA-collegeを設立。2011年帰任後、グローバル部門を経て、2014年より現職。「電通ダイバーシティ・ラボ」「NPO法人二枚目の名刺」のメンバーとして、また早稲田大学エクステンションセンター「WASEDA NEO」プログラム・プロデューサー、キャリアカウンセラー、ワークショップデザイナーなど、社内外で幅広い活動を行っている。

シンガポール赴任、帰国後に起きた組織の大転換――自分でキャリアを創らなければ、環境の変化に飲み込まれてしまうと思った

酒井 章 氏
  • 勝 幹子
    現在、NPOや大学などパラレルキャリアの実践者として幅広い活動をされている酒井さんですが、まずは電通で人事やキャリア支援のお仕事に取り組むに至った背景をお伺いしたいです。
  • 酒井 章
    電通に入社したのが1984年。最初はクリエーティブ局で2年間、コピーライターの仕事をしました。その後インターンという形で営業局に異動しました。もともと営業志望だったこともあり、2年間のインターンが終わった後も「クリエーティブにはもう戻りません!」と抵抗して、そのまま営業の仕事を続けました。
  • 勝 幹子
    営業局ではどんなお仕事をされたのですか?
  • 酒井 章
    27歳から約15年、トヨタ自動車さんを担当しました。主な仕事としては、各車種のキャンペーン。いわゆる広告を企画してプレゼンテーションして…という皆さんが想像されるような仕事です。あとは「施設開発」といって、1989年に名古屋で開催された「世界デザイン博覧会」でトヨタグループが出展するパビリオン。そして「トヨタ産業技術記念館」、これはトヨタグループの歴史のすべてがわかる博物館ですが、そういったプロジェクトを担当しました。あとは「ネッツ」や「ビスタ」といった、店舗のコーポレート・アイデンティティー(CI)の仕事もしましたね。
  • 勝 幹子
    営業といっても、かなり幅広いお仕事ですね。
  • 酒井 章
    2000年にマーケティング局に異動してからも、トヨタさんの海外マーケティング戦略に関わりました。2005年にはシンガポールに赴任して、トヨタのアジアチームの立ち上げ、それと兼務で「電通ネットワーク・アジア・カレッジ」という企業内大学を立ち上げました。面白いところでは、クールジャパン事業の仕事で、AKB48のシンガポール公演にも携わりました。
  • 勝 幹子
    日本に戻って現在の人事局に移られたのは、どのような経緯があったのでしょうか?
  • 酒井 章
    シンガポールから帰任したのが2011年の3月10日。東日本大震災の前日でした。電通としても大転換期で、2013年にイギリスのイージスグループを買収して、事業が一気にグローバル化していきました。

    クライアントも日系企業だけではなくなり、社員も日本人がマジョリティではなくなる。人事の面でも、たとえば職能給を職務給に、絶対評価を相対評価に、役職定年の年齢も引き下げ…といったように、どんどん環境が変化していく。そんな中で、「本社の人間、日本人も「キャリア形成」のマインドやスキルを身につけないと、グローバル競争に飲み込まれてしまう」と、はじめて私自身のキャリアというものを考え始めました。シンガポールで企業内大学を立ち上げた経験を活かそうと思い、社員のキャリア支援の企画を提案して、2014年に人事局に異動しました。

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